という方のために、ガーシーさんの経歴などを調べてみました。
ちょうど、中田YouTube大学でガーシーの解説をしていたのです。
ガーシー議員は何者? 経歴や本名や学歴を調査!
ガーシー議員の本名は、東谷 義和(ひがしたに よしかず)さんです。
1971年10月6日兵庫県伊丹市生まれで、地元の小学校から高校生までを過ごします。
家族構成は、高校教師の父親と、主婦の母親と、妹です。
父親は、定時制高校の教師をしている時期にパチンコ依存症になり、闇金から借金をするようになりました。
そして、闇金の取り立てが勤務先の学校に来たことで、高校教師の職を失います。
最終的に、借金を苦に、ガーシーさんの父親は自殺します。
ガーシーさんは、阪南大学に入学します。
大学時代は、車が好きで、いわゆる走り屋だったそうでした。
大学卒業後は、ダイハツ(言わずと知れた車メーカー)に入社します。
新人研修で車を販売することができたのですが、販売の仕方が会社のマニュアルに沿っておらず、会社から注意を受けます。
その影響もあり、ガーシーさんは、ダイハツを短期で退職しました。
その後は、ガーシーさんはイベントと自動車代理店を組み合わせたビジネスを手掛け、成功します。
若き成功者です。
ただ、設けたお金を、キャバクラと闇カジノに使ってしまいます。
お父さんがパチンコ依存症で命を絶ってしまいましたが、ガーシーさん自身も闇カジノで2億円溶かしてしまいます。
ああ、ギャンブル依存症!!! これさえなければ(泣)。
しかしニックネームが不死鳥のガーシーさん。
その後、車を、走り屋が好きそうな車にアレンジし、売ったところ、再び売れて、成功しました。
大阪で板金工場まで作ったそうです。
資金は、大学時代のゼミの先生にお借りしたとか。
先生がお金を出してあげるくらいだから、人望はあったんですね。
そんな時期に、大阪ミナミのバー『エンメ』で出会ったヴェルディ川崎の日本代表のサッカー選手・廣長優志(ひろながゆうじ)選手を介し、ロンドンブーツの田村淳さんと出会います。
またお互い20代前半の時期です。
事業を拡大するために、ガーシーさんは東京進出も考えていました。
東京に滞在していた時は、なんと中野坂上や参宮橋のマンションの田村淳さんの家に宿泊していました。
その当時、田村淳さんは『ガサ入れ』というテレビ番組をやっていました。
「ガサ入れ」は、90年代後半から00年代初頭にかけて放送されたロンドンブーツ1号2号の冠深夜番組『ぷらちなロンドンブーツ』(テレビ朝日系)における人気企画。
恋人が浮気しているのではないかと疑う彼氏の依頼を受けて、田村淳と田村亮が彼女の自宅にアポなしで訪問し、室内の備品やゴミなどを手掛かりにシロかクロかをジャッジするというものだ。
2人は、きれいな女性を見かけては、女性の連絡先を聞くような生活をしていたそうです。
若い男性ですし、女性に連絡先を聞きまくる行為自体は、ちょっとやんちゃな若者の普通の生態だと思います。
ただ、芸能界にコネクションがあったのが、ガーシーさんが他のやんちゃな一般男性と大きく違ったところ。
この頃、ガーシーさんが島田紳助さんに女性を紹介します。
島田紳助さんは、ガーシーさんが紹介した女性たちがみんな綺麗で驚いたんだとか。
もう、この時期から、いわゆるアテンダーのようなことはしていたんですね。
1995年 ガーシーさんとその友人は、羽賀研二さんの番組『Bikini』の出演女性に手を出し過ぎ、芸能事務所の社長に「東京を出ていけ」と宣告を受けます。
そこで、ガーシーさんは一度大阪に戻ります。
『BiKiNi』(ビキニ)は、テレビ東京系列局ほかで放送されていたテレビ東京製作の深夜バラエティ番組です。製作局のテレビ東京では1996年10月4日から1999年3月26日まで、毎週金曜 25:00 – 25:30されていました。生え抜きで司会に昇格した山田まりやにとっては出世作となりました。
レギュラー出演者の中からも嘉門洋子や安西ひろこなど、後に活躍するグラビアアイドルを多数輩出し、また「予備軍」として安めぐみも出演していました。
ほとぼりが冷めた頃、東京に戻り、お笑い芸人・アメリカザリガニ 平井善之さんとBAR『MACCA』を経営します。
※ 平井善之さんは、松竹芸能所属のお笑いコンビ・アメリカザリガニの方です。
このバーには、お笑い芸人さんが多く訪れ、繁盛しました。
このバーも繁盛し、東京・札幌。大阪・沖縄に店舗を拡充します。
2006年 西麻布にバー『プライブ』を出店します。
バー『プライブ』には、俳優さんやミュージシャンなどの芸能人が集まり、ガーシーさんは芸能界への人脈を広げます。
ここでは色々な人間模様が繰り広げられましたが、ガーシーさんは異様に口が堅かったそう。(←まさか将来、暴露系YouTuberになるなんで、本人も、予想だにしていなかったであろう)
また、芸能人同士のもめごとも、裏でガーシーさんが仲裁していた模様。
口が堅く、芸能人同士のもめごとを仲裁し、アテンドした女性には絶対に手を出さない。
ガーシーさんはアテンダーの鏡のような人だったわけです。
2017年 芸能事務所『everfree』を設立します。
もともと芸能事務所を辞めた人の受け皿になっていたようです。
また、アパレルブランド『QALB(カルブ)』を立ち上げます。
ガーシーさんは、もともと絵を描くことが好きで、Tシャツのデザインなども手掛けていたそう。
『QALB(カルブ)』の公式インスタグラムには、新田真剣佑さんや山田孝之さんがモデルとして洋服を着用、大人気となりました。
乗りに乗ったカルブは、2019年 楽天主催のガールズアワードに出展します。
しかも、ガールズアワードを総合演出したのが山田孝之さんです。
しかし、ガーシーさんの闇はギャンブル依存症です。
何度稼いでも、お金をバカラで使い込んでしまいます。2019年にはバカラで借金を抱え、2020年には新田真剣佑さんから6000万円の借金、他の方からの借金も入れるとトータルで数億円の借金を抱えます。
ああ、ギャンブル依存症でさえなければ、成功者なのに!!!
2022年、NHK党(選挙当時。後に「政治家女子48党」に名称変更)から第26回参議院議員通常選挙に比例区から立候補。
個人得票287,714票を得て、党名簿登載者第1位の得票数で当選し、参議院議員となります。
これ(↓)は、ガーシーさんが参議院に当選した後の動画です。
この時は、まだNHK党に所属の参議院議員でした。
しかし、当選以来正当な理由なく海外に滞在し続け、議員在職中は一度も帰国せず登院する事はありませんでした。
参議院から「公開議場における陳謝」の懲罰を受けたがこれにも応じなかったため、2023年3月15日、現憲法下の国会議員では1951年の川上貫一(衆議院議員)以来72年ぶり3人目、参議院議員としては1950年の小川友三以来2人目の「除名」処分を受け、この日限りで参議院議員を失職しました。
議員除名後の2023年3月16日、3人の著名人を自身の動画で常習的に中傷、脅迫したとして暴力行為法違反(常習的脅迫)や名誉毀損などの疑いで、動画撮影に携わった知人の男性とともに警視庁捜査二課より逮捕状が出されています。