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北風(槇原敬之)の歌詞の意味を考察!感想も!切ない冬の恋の歌!
北風(槇原敬之)はどんな歌?
槇原敬之さんが1992年に作詞作曲した冬の恋の歌
百聞は一見に如かず、こちら。
『北風』の歌詞の意味を考察
ここでは、私が『北風』の歌を聞き、
『北風』の歌詞を読み、
感じたことや考えたことを書きます。
『君』は誰?
『北風』の登場人物は僕と君のふたりです。
歌詞の中で『手の届く距離で君を感じるたびにかっこ悪い位何も話せなくなるよ』と言っているので、>恋をしている相手であるのは確実。
普段はおしゃべりな人でも、好きな相手の前だと口数が少なくなちゃうよね~。
やっぱり、相手によく見られたいじゃん。
意識しちゃって、あまり話せなくなっちゃう。
更に『明日もしこの雪が積もっているなら小さく好きだといっても君に聞こえない』と言っているので、片思いの相手なんだろうなあ。
もし『君』が恋人だったら、相手に聞こえないくらい小さな声ではなく、相手に聞こえる音量で好きだと言うもんね。
で、歌詞に雪で冷たくなった自転車とか、『思いだせることは斜め40度から見たいつもの君の横顔だけ』と書いてあるので、学校に自転車通学していて、同じ教室の近くの席の人に片思いしていて、授業中にそっと相手を見ているのかなあ、と妄想しちゃう。
なぜ大勢でいても『一人でいるような気持ち』なの?
たくさんの人と一緒にいても『一人でいるような気持ち』がするのは、
ずばり、片思いの相手がたくさんの人の中にいないからだよね~。
クラスの友達何人かと話していても、意識は片思いの相手の方にいっちゃう。
片思いの相手と話したい、でも話せない。
片思いの相手との距離を感じているから、周りにどれだけ人がいても、常にさみしさを感じているの。
『家族の意味さえ変わってしまう』の意味は?
これは、今までは家族はなんでも打ち明けられる存在だったけど、
恋する相手ができたことで、家族に何もかもを打ち明けられるわけではなくなった、
という意味だと思う。
自分の恋愛の相手のことを家族に話すのって、なんだか気恥ずかしいじゃん。
しかも、槇原敬之さんは同性愛者であることをカミングアウトしている。
やっぱり自分の恋愛対象が同性だ、と家族に打ち明けるのは、簡単にできることではないと思うんだよね~。
親は恋愛対象が異性だったから、自分が生まれているわけじゃん。
なので、より一層、家族に自分の恋の話をしづらい、という側面はあったと思う。
とはいえ、やっぱり自分の恋心を家族には話すのは気恥ずかしいという感覚は多くの人にあるし、
万人に心に響く曲だよね~。
なぜ『小さく好きだといっても君に聞こえない』の?

雪が音を吸収するから、愛の告白の声も雪に吸収されて、相手に聞こえないんだろうね。
雪の日は静かだもん。
北風(槇原敬之)の感想は?
この歌詞に出てくるアイテムは、風情のあるものが多いよね~。
さび付いた自転車とか、ストーブとか、毛布とかさ。
北風が強い雪の日に似合うの!
まず、自転車は金属だから、熱伝導率の関係で、雪の日はめちゃくちゃ冷たいじゃん。
雪の日の冷たさが伝わってくる。
で、床暖房でもエアコンでもなく、ストーブというのもいい!
ストーブは燃えているチラリと火が見えるじゃん。
凍えるように寒い日のストーブほど、人をホッとさせるものってないもん。
※写真はストーブでなく、石炭を燃やしている火です。
毛布もナイス!
寒くて、毛布に包まってじっとしている様子が目に浮かぶ。
毛布は、自分が守られている感じがする1番のアイテムだよね。
人間は、季節に関係なく片思いをするわけだけど、冬の片思いの歌は、冬にしかない切なさがあっていいよね!